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コラム:学校の成績を良くする方法は?

みなさん、お元気ですか? 行政書士のてつさんです。さて、学校の成績を良くするにはどうしたらいいのでしょうか?
結論から申し上げますと、漢字で成績と書くことができれば成績は良い方に向かいます。(え、それだけ?) 言い換えれば原点はそこに、そもそも論としても、漢字で成績を書けない小学5、6年生・中学生・高校生は、成績が決して良くはならない筈です。
とはいえ、教育・受験指導の西村創先生(河合塾Wing)によると間違えやすい漢字の王様格で、大人になっても成積と書き間違えてしまう人が少なくないといいます。績という字は小学5年生で習いますが、小学5年生の子に、成績はなぜ成績と書くのか、根拠を説明できるでしょうか?

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偉そうに書いていますが、私自身もつい数年前まで曖昧なままでした。解るようになったとき、人生の大事な忘れ物を見つけた思いがしました。「ここか!」「小5の、ここから人生をしくじっていたのか!」絡みついた過去の糸を順番に解きほぐし、人生をやり直していくうちに、気付けば(?)行政書士試験に合格していました。そうです、成績が腑に落ちれば成績は良くなるのです。こんな単純なことに何故気が付かなかったのか…勉強と人生につまずくメカニズムって意外にミクロなところに、小学5年生に習う成績のが起点にあったのです。

単純(シンプル)とは、奥が深いものです。ジョジョの奇妙な冒険 第3部において、イギーのスタンド能力を見た空条承太郎もこう言います。「うむ、シンプルなやつほど強い」「おれでも殴れるかどうか…

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それでは奥深き漢字「成績」に迫る、奇妙な冒険始まります!


「勉強はコツコツみ上げるものだから成積じゃないの?」(うん、気持ちはわかる!)
成績?通信簿とって何の関係もないよ?どう考えたって、おかしいじゃん!」(ふむ。なるほど。)
「ねえ、どうして成績(score)の偏が使われるの?理由は!?」(キミは少年時代のエジソンか!)
「意味が解らない!パパの説明、納得できないよ!納得できないから僕、これからも成積って書くね!」(おいおいおい…)

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上記は親子の架空の会話ですが、これが小学生5年生を境にして、成績が良くないほうに向かう、最初の第一歩・一丁目1番地・水準原点なのです。底値まで一気に悪くなるわけではありません。むしろ中1の何処かで一旦上がったりもします。これは大相撲に例えると序の口優勝のようなもので、元横綱・北の富士勝昭氏の解説によると、基礎習得中の、序の口の段階で優勝しても、その後の成績は伸び悩むといいます。(三段目、幕下優勝は将来有望)そのように中1の前半に序の口優勝しても、最も大切な基礎力を固めず、水面下では良くない方向に進んでいることに変わりはなく、次第に学力低下は表層に現れてきます。そこからはバブル崩壊後の株式チャートのように上下しながら、3万8915円87銭から6994円90銭まで着実に下降していくのが恐ろしいのです。

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最初の第一歩をガラパゴスな方向へと無手勝流に踏み出しているので、勉強をしても、やっても一時的に上がる事はあれども、平均移動線は下がる一方です。正しい方向性で標準規格化された理解・整理・記憶と、問題演習の往復をする友には、太刀打ちできません。彼らとは差が開く一方になります。
実のところ、両者には勉強の速度や分量に大きな差はありません。それなのになぜ指数関数的に差は開いていくのでしょうか?
そのメカニズムを図解したものが(成績の壺)↓です。


 

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基礎力を固めず、勉強の方向性も誤ると、橙線緑線黄線のように、壺の壁にカキーン、カキーンと跳ね返されLEVEL.10.20.30以上に成績を上げることができません。成績と同時に進路も乖離するので、青線の友達とは、きっと縁も遠退いてしまいます。クラス会や成人式、友の結婚式といった節目で、孤独で苦しい思いをすることになるかもしれません。

青線の友達は、
①何よりも情報収集に重きを置いて、
②師と良好な信頼関係を築き、
③師から成績優秀者の思考過程と、
④勉強の方向性の指導を仰ぎ、
⑤自らは勉強に専念し、
⑥成績の狭軌線から外れないよう、
⑦注意深く、相談を重ねつつ、学習を進め、
⑧最短距離でLEVEL.99へと進んでいきます。


成績という字を「理屈を考えるよりも体得しなさい」「50回、100回書いて覚えなさい」という間違った方向性では漢字嫌い国語が嫌い語学(英語)も全部苦手という、かつての私のような勉強嫌いな子供が量産されてしまいます。反対解釈をすれば、なぜ成績と書くのか、その理由・根拠がわかれば、記憶は定着し、奥深い漢字・語学の世界に興味が湧く子達が増える筈です。

成績はなぜなのでしょう? さあ、橙線ルートを回避するためにも、成績という漢字の歴史から振り返ってみましょう。成績の歴史を振り返えれば、同時に漢字がなぜ数千年にわたって今日まで受け継がれてきたのか、その謎?に迫ることになるかもしれません。
それくらい成績の成り立ちには謎が多く、現代日本の価値観では理解し難いものがあるのです。皆さんには心のタイムトラベラーになって、時空を超えて数千年前の東部ユーラシアの価値観にフォーカスを合わせて頂く必要があります。前準備にまずは下2枚の画像をご覧ください。じつはこれ、古代のSNSともいえるものなんです。

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成績のルーツは、古代のSNSこと、兮甲盤(けいこうばん)2850年前の青銅器に、最初の手がかりが見つかります。紀元前825年の周王朝(殷周秦漢蜀晋…の周)の時代ですね。

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①周王(宣)が北方異民族を征伐すべく、親征します。
②周王宣は同行した軍士「兮甲(けいこう)」に討伐と徴税を命じ、
③兮甲はそれに成功、祝勝会で周王より褒賞を得ました。
④兮甲は青銅器に己の功績を刻ませます。

つまり④のように兮甲が己の功績を刻ませたのは、21世紀の私達が国家試験に合格をSNSにあげて「イイね!」をもらうのと、まったく同じです。いつの時代でも人間のやることに変わりはありませんね。

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繰り返しになりますが、この記事は成績を良くする方法が主題ということで、その目的のためだけにタンスの引き出しの奥から2850年も前のSNS「兮甲盤」を引っ張り出してきたのは、人類の歴史上、私が初ではないでしょうか(笑)兮甲盤で検索していただくとわかりますが、難しい学術論文pdfか、商業取引記事で散見されるだけで、世俗では私以外の誰も、まったく話題にすらしていません。周の兮甲将軍(※兮甲尹吉甫)もまさか己の碑文が…と、まあ、2850年前には想像すらしなかったと思います。

兮甲(姓名けいこう)(官職名:軍士・軍司令官いん)吉甫(字名きっぽ) 文武両道に秀で、『詩経』大雅の「崧高」「烝民」の2篇に、兮甲作誦の句が今日まで残る。2017年のオークションにて、兮甲盤は3150万ドル(約46億円)で落札された。

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①緑の枠は成周四方の責と読みます。
兮甲盤133文字46億円ですから、
③この漢字5文字だけでも1億7300万円の価値があることになります(^_^;)
成周は周第2の城塞都市です。(ちなみに首都の城塞は宗周)
||||は漢数字の四です。
⑥四と書く前の時代は4本の横棒で四です(||||になったのはキングダム始皇帝の時代、文字統一以降になります)
⑦(||||厚切りジェイソンさんの漢字コントを思い出します。)
成周四方の責は超訳すればジャイアニズムです。
成周の四方(周辺地域)の収穫物は周のもの。周のものも周のもの…といったところでしょうか。


※厚切りジェイソンさん、漢字コントに成績ネタ↓使ってください。
「成績の績!なぜ糸偏?意味わからない!Why?
「成績の意味わからないのに、成績なんて上げようがないじゃない!Why Japanese people!?
 

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閑話休題、橙の枠は其の帛(白+貝)、其の責、其の進人(そのハクそのセキそのシンジン)で、要するに租調庸です。歴史の授業で習いましたね。租調庸の歴史も兮甲盤に見ることができると思うと感慨深いものがあります。誠に貴重な第一級の歴史的資料です。が第一目的(メイン ターゲット)に挙げられていることに注目してください。しかしどうして主食の穀物よりも、織布のほうがメインなのでしょうか? え、兮甲盤に彫ってあるの古い字形って(白+貝)? 貝は通貨の漢字だから織布は、白い通貨?どういうこと?

→織布
→穀物
進人→奴婢


白+貝はさておき、時代を経るとで賦貢(租税)全体を表すようになります。白川静博士の字統によると、賦貢として納める農作物が、織布がとされました。(ここでようやく績が出てきました。成績のは、第一目標とされる租税、すなわち周王朝最大の歳入源だったのです)

※東部ユーラシア伝統の蚕糸織布は、当時から世界最高品質で、後世の卑弥呼の時代、魏志倭人伝にも返礼品目として記録されています。(絳地交龍錦・絳地縐粟罽・蒨絳・紺青・紺地句文錦・細斑華罽・白絹…)

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も同じく租税ですが、殷や周の時代は鉄製農具はまったく普及していないことを忘れてはなりません。木製農具は損耗率が高く、作成も磨製石器か黒曜石による削り出しでしょうか。鉄製の鎌がないので、穂の収穫は石包丁。気が遠くなる時間、手間、重労働が必要です。鉄器普及による飛躍的な生産向上は400年後の春秋末期からです。つまり多くの収穫量は期待できません。そして悪天候や自然災害の前に軍事・行政は無力です。たとえば東部ユーラシアでは、大規模な大雨や旱魃が起こると必ずといっていいほどトノサマバッタの群生相が発生して、大規模な農被害を与えてきました。蝗害は有史以来500回以上を記録、古代の頻度は平均して3年に1度。殷の甲骨文にも既に蝗害の記録が見られます。は歳入として極めて不安定だったのです。

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は比較的ですが天候には左右され難く、行政による組織化、効率化、守秘義務、マネジメントによって質量共に安定したことでしょう。(賦貢の)功績、(賦貢の)業績、(賦貢の)実績、(賦貢の)治績、(賦貢の)挙績戦績(と賦貢)…績の付く漢字は、軍事力や行政執行力と関係がありそうです。貴重な外貨獲得手段である蚕糸織布生産技術や、通経断緯等絹織物の技法は情報統制も厳しく、西洋への伝播はユスティニアヌス帝の時代まで待たねばなりません。日本産の絹織物技術水準が本場に追いつくのも、ようやく江戸時代末期になってからです。

※天保13年、福島県伊達郡梁川町の中村善右衛門が養蚕用の寒暖計を発明。善右衛門の創意工夫により養蚕の温度管理が可能となり、日本の養蚕技術が飛躍的に向上した。

IMG_1319.jpeg絹織物の化石といわれる緙絲(こくし)は、経糸と緯糸を交互に織り合わせて作る、東部ユーラシアで最も伝統的な絹織物。(撮影 許叢軍_新華社発) 


ところでそんなにたくさんを集めて何が目的だったのでしょうか?周王朝は周辺諸国、特に東南アジアとの交易で貨幣(宝貝)を入手するためになどの交易品が不可欠でした。等を輸出して、子安貝を輸入していたのです。は(現代風に言えば)付加価値が高く、換金率が高い商品ということになります。漢字の「かう」に相当する「」や、「あきなう」に相当する「貿」、商業や商人を意味する「」や、貨幣などを表す「」も甲骨文字の頃から使用されています。後年の『漢書』食貨志によれば、宝貨制の貝貨は大きさによって5種類の価値があり、最小が3銭、最大が216銭に相当しました。なるほど、王や支配層には(白絹)がまるで白い通貨に見えたことでしょうね。

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さて(旧字は朿+貝)の甲骨文字は、先の鋭くとがった木で標木として立てる象形+財産を現す貝になっています。
周王宣が軍士兮甲に命じたように、軍隊で征服した地域を自国領土として標木を打立て、占領地から財産を(軍隊や行政の執行力で)租税として徴収するという、王から軍士に課された責務がの原義になります。現代でも公の強制力、執行力(逮捕・拘束・重加算)を背景に税金が徴収されます。今も昔も同じです。おそらく未来もそうでしょう。
…しかし改めて振り返ると、経営管理はともかく、北方異民族、征伐、賦貢、奴婢とか小学生にどう教えていいのやら、現代日本の価値観と対立する概念が総出演します。しかし当時を現代の価値観で裁くようなことは個人的に控えようと思います。

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賦貢の納入が規定に達することを成績といい、規定に達しないことを弗績(不績)といいました(※弗には「二つに分離」→「否定」の意味がある)。軍事行動に敗れて賦貢がゼロだと敗績です。【楚辞、離騒】に「皇輿の敗績せんことを恐る」の句があります(↓画像)。王は軍士に績を責任として課しているのです。生死栄達を賭けた、もの凄いプレッシャーです。この All or Nothing の構造は大学入試や国家資格試験の過酷さと全く同じです。受験指導塾・予備校や教材に多額の課金をして、貴重な時間を費やし、人生を賭けて、規定合格点に達するべく勉強し、プレッシャーに耐えて、最後は運も味方につけて、やっと合格率5%未満の本試験に合格、ハッピーエンド…では終わりません。それだけして、やっと得た合格は通過点に過ぎず、次は実務上の成果が求められます。敗績=不合格になればスタートラインにすら立てません。富も名誉も時間も、すべてを失うというわけです。

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周王朝 All or Nothing の評価構造

  戦いに勝利し、新たに領土は獲得できたか? 賦貢の納入は、王が課した規定に達したか? 効果
成績

地位
名誉
財産
婚姻
陞爵
栄達
子孫
繁栄

不績 × 戒告
譴責
懲戒
左遷
降格
減俸
肩叩
敗績 ×

亡国
赤字
失脚
離縁
族滅
罪刑
投獄
自決
犠牲者…


ここまで長々と記述してきましたが、まだ謎が残ります。All or Nothingの評価構造と、後世の官吏登用試験や、科挙制度のAll or Nothingの評価が、その過酷さ等において余りに酷似しているため、いつしか学業や試験の評価に成績の文字が使われるようになった…と思われますが、思われますの表現の通り、これは推測に過ぎません。古代の成績が、試験の成績(score)に使われるようになった過程が不明で、資料も見つけることができませんでした。とはいえ状況証拠的に、試験の成績は当初(春秋~戦国時代)、隠語として使われたのと考えるのが自然ではないでしょうか。そのように仮定すれば、成績がこれだけ理解するのに何枚も何枚もベールを剥いでいかなければ辿り着けない理由も納得することができます。隠語ですから一般には簡単にはわかり難い文字()で表す必要があった…現代日本でも中学受験に関する隠語はたくさんあります。


逆比 なぜ比が逆になるのかという過程をすっ飛ばし、結果のみを取り上げて強調するための用語。
コアプラス サピックスの理科、社会の教材。
カリテ カリキュラムテストの前は借りてきた猫のようになっている現象。
土特 サピックスの土曜の特別講習。
日特 日能研の日曜日に行われる特別講習。
GS特訓 ゴールデンウィークサピックスの略。 朝の9時から夕方の5時まで授業を行う。休憩時間は30分。 
島津パパ 漫画『二月の勝者』に登場する島津家のように振る舞う父の事。


ある高専でも、成績に関する隠語が、勉強会で飛び交います。

破壊神 クラストップ
十賢 上から10番以内
十本刀 下から10番以内
守護神 クラス最下位
絶対的破壊神、永遠の破壊神 常に成績トップを取り続ける生徒
https://kosen-sei.site/score/


第100代内閣総理大臣の母校ではクラス最下位をとった生徒のことをアーサー王伝説(聖剣エクスカリバーを抜くほどの力があるのに、肝心なところで失敗する伝説の王)になぞらえてアーサー。成績がクラスで下から2~13番目は円卓の騎士(アーサー王の側近12名に準えて)と呼ぶようです。今成績が悪くても、地力があることは認めており、「剣よりペンの方が強い」と笑いに変えているのです。

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このように受験生、関係者は受験関係用語、隠語を使うのが好きです。隠語って若干笑ってしまいますね。ブラックなスパイスも欠かせません。隠語には便利さと、試験の過酷さを少しでも笑って中和させる作用があります。古代の受験生たちも同様に、過酷さ故に成績という周時代には生死を賭していた言葉をあえて使い、そして言葉の裏側の笑えない部分をしみじみと噛み締めたのでしょう。

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試験というものは受験人口の増加や、受験生側の対策が進むことで更に難化します。当初は隠語だったものが試験が難化するにつれ試験関係用語になっていったのでしょう。1970年代の日本にも受験地獄という受験用語があったといいます。実際に阿鼻地獄や叫喚地獄に落ちるわけではありませんが、競争率の激化によって受験生にとっては人生を賭した厳しい状況になっていったと。ほんの50年前のことですが全入学時代になった令和の日本では実感としては分からないものがあります。


この記事では、成績古代の受験生・関係者の隠語・用語が一般化し、現代まで生き延びた、例外中の例外ともいえる言葉と結論付けます。春秋戦国期の当時の特殊な比喩表現ですから、現代人には余計に理解することが困難で意味不明です。50年前の日本の感覚ですら理解が難しいというのに、まさか数千年前の東部ユーラシア大陸のブラックジョークの感覚まで感知しないといけないとは(^_^;)

◎漢字「成績」を理解する為に必要な一般知識等
・地理・歴史・気象
・生物・軍事・政治
・経済・税制・農業
・経営管理・SNS
古代のジョークNEW!!


成績は約3000年の時空を超えた、人々の歴史、栄枯盛衰、生きる厳しさ、紙一重の差、時の運、受験生の悲喜、不条理の世界…といったものが現代にまで伝わり、そしてひとつに繋がる、ながい長い物語といえるのではないでしょうか。
「地名はその土地の記憶」といいます。地名に記憶が刻まれているなら、漢字にもその歴史の記憶が刻まれているに違いありません。漢字の由来をひも解けば、厳しい現実を生き延びてきた先人たちの思いが甦ります。受け継がれた人々の営みや、現実社会を映し出す言葉もまた、かけがえのない歴史の遺産と思います。


まとめ
(なぜ成績なのか?)

①3000年前の国際通貨は宝貝だった。※アンダーソン (J. G. Andersson)  松崎寿和訳『黄土地帯』1987, 六興出版
②金文によれば、周王朝はa.財貨、b.諸侯に下賜する賞賜、c.呪術的装飾品、d.遠くは印度との交易(後のシルクロード交易)の媒介等ために、宝貝が必要だった。
③国際的に競争力のある高品質の絹織物を輸出し、東南アジアから宝貝を輸入した。※後の漢代以降、絹織物(シルク)はシルクロードを通じてユーラシア全域に伝わった。
④より多くの宝貝を得るため、周王は周辺諸国を攻め、蚕糸織布他を賦貢として取り立てることを、配下の軍士たちに命じた。
⑤やがて織布の賦貢を表すために、甲骨文字の時代には無かったという漢字が新たに作られた。
の納入が規定に達することを成績といい、達しないことを不績といった。
成績は軍士たちに課せられた重い責任だった。その失敗を敗績といい、敗績は全てが終わることを意味した。
⑧このAll or Nothingの評価構造と、後世の官吏登用試験や、科挙制度のAll or Nothingの評価が、その過酷さ等において余りに酷似しているため、いつしか学業や試験の評価に成績の隠語・試験関係用語がブラックジョークとして比喩的に使われるようになった。
⑨用語が浸透し、ジョークの要素が薄れ往き、一般語になった成績は、浸透の仮定で、周の時代の成績不績敗績、全ての意味が、成績に統一(吸収合併)されるが、難関試験の9割以上が不合格になることを考えると、敗績の隠された存在感が内実として大きい。
成績は遣隋使、遣唐使の留学生によって、日本にもたらされ、令和の現在も尚使われ続けている。
⑪古代と現代の成績で決定的な相違点。古代の敗績に命の保証は無かったが、試験は不合格でも命まで取られることはない。


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大河ドラマ「どうする家康」秀頼はどうする?

こんにちは。行政書士の松山です。令和5年の大河ドラマは丁度大阪冬の陣の直前辺りになります。

私(松山)は尾張の人なので、どうしても三河の家康よりも、尾張のプリンス・秀頼の方を判官贔屓してしまう。右大臣豊臣秀頼は祖母の兄が織田信長、父親が豊臣秀吉、祖父が浅井長政、義父が徳川秀忠、義祖父が徳川家康と、将にプリンスに相応しい「戦国の貴種」だったりします。

ただ貴種というだけではなく大阪冬の陣では、包囲した東軍を大阪城もろとも「逆水攻め」するという、太閤秀吉ゆずりの戦術は、将棋でいう「敵の攻め駒を攻める」にも通じ、侮り難しの印象を受ける。やることのスケールがでかいし、秀頼の身長は空条承太郎よりも2cmでかい(197cm)。

さて1611年(慶長16年)3月27日、家康と秀頼の二条城会見の前夜、家康は思った筈。「まさか右府様(豊臣秀頼)、今晩あたりお忍びで来られるか?」
秀吉に内々に「電撃訪問」された昔を思い出して、想定はしていたと思う。
家臣一同にも「あの太閤の子だからあり得る。心の準備だけはしておけ」もしかするとこんな事を言い含めていたのかもしれない。
秀頼はそうすべきだった。腹を割って酒でも飲んで「義理の祖父」家康と語り合っておくべきだったと思う。亡き父秀吉の思い出話を、大叔父の信長の話を、祖父浅井長政の話を、戦国の生き証人家康からよく聞いておくべきだった。そうすればまた違った歴史になったのかもしれません。

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