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漢字「口」(サイ)の材質・素材(material)は、しゃれこうべ

 

みなさん、お元気ですか? 出張車検.comの松山です。

まずは当記事の結論から述べます。記事タイトルの通り、漢字「」(サイ)の素材はしゃれこうべ(頭蓋骨)です。「」(サイ)はこれまで未発見とされ、故に存在が疑問視されてきましが、1950年〜の殷墟調査の段階で現物は発見されていたことになります。


本記事は、「学校の成績を良くする方法は?」https://www.rescue-119.jp/news/archives/1285 こちらの記事のスピンオフとなっています。漢字「」(サイ)のひみつを探るのがテーマですが、ゆるーい青春日常ライトノベル系の記事です。お手軽、お気軽に読んでくださいね。

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東洋の理念を求め続けた白川静博士による発見

本記事タイトルについて、「白川文字学に学ぶ『漢字学習講座』資料より」引用します。

」(こう)のつく漢字は、日本で一番大きな漢和辞典である『大漢和辞典』の「」の部に1447字 あります。しかし、この中には「くち」という意味だけでは字の成り立ちが説明できなかったり、矛盾が生まれるものが多いことが知られていました。

→例えば漢字の「(うつわ)」です。
の正字体、ではなくですが、を「くち・こう」と考えると成り立ちがよくわかりません。試しに漢字「」をイラスト化したところ、人工知能AI歯科医師が、子供に親しみやすい犬のアバターを影法師にして、小学校の集団遠隔歯科検診するという、もはや22世紀の近未来的なSF作品になってしまいました。

器をイラスト化すると意味がわからなくなる.png
…とまあ、このように考察を重ねれば重ねる程、情報量が多過ぎてツッコミが追いつかない状況に終止符を打ったのが、白川静先生による「」(サイ)の発見でした。これは6世紀インドのブラーマグプタによる数学上の0「零」の発見にも等しい偉大なものと本記事主は解します。これまで単に「くち」 として解釈してきたものの多くは、実は「祝詞(人が神に願いごとをするために書いた文)を入れるの形」 (サイ)であることを白川先生は解明されたのです。


白川博士の世代 ー創造的天才たちー

」(サイ)を発見された白川博士は1910年生まれですが、1910年(明治43年)庚戌年生まれの人をネットで検索してみると、白川博士だけではなく創造的天才がたいへん多い年のようです。ごく一部のみ紹介させていただきます。

黒澤明:映画監督。

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三枝健剛:作曲家三枝成彰氏と、映画監督三枝健起氏の父。1946年「NHKのど自慢」創設。令和の今日まで続くモンスター番組。
当番組出場後プロデビューした著名人は、美空ひばり・坂上二郎・北島三郎・五木ひろし・森進一・島倉千代子・牧伸二・里見浩太朗・倍賞千恵子・京塚昌子・コロムビア・ライト・三橋美智也・石澤智幸(テツandトモ)・荒牧陽子・光永亮太・大城バネサ・藤澤ノリマサ・井上愛・鬼束ちひろの・長谷川俊輔(クマムシ)・桜庭和・MICA・ジェロ・三山ひろし・砂川恵理歌・阿部真央・清水博士・北川理恵・山口賢貴・川野夏美・渡辺大知・米川真里絵・長谷川萌美・徳永ゆうき・中澤卓也・櫻井麻耶 ・岡咲美保・小山田祐輝・戸子台ふみや・原田波人・YURiKA・大場悠平・加藤大知・舞乃空・花耶… をはじめ、もはや百人以上に達する。
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名取洋之助名取美和氏の父。名取美穂氏の祖父。1934年 写真誌NIPPON創刊。従来の日本のレベルをはるかに超えた内容の誌面。そのグラフィックは今見ても新しい。集英社「栄光なき天才たち」単行本第16巻「名取洋之助」。人の才能を極限まで引き出す天才による名取学校は、木村伊兵衛、原弘、伊奈信男、岡田桑三、太田英茂、土門拳、藤本四八、山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策、多木浩二、三木淳、牧田仁、樋口進、薗部澄、細井三平、三堀家義、石井彰、長野重一、田沼武能、佐伯義勝をはじめ、多くの人材を世に送り出す。名取洋之助の人の本質を見抜く眼力は、白川博士の漢字の本質を見抜く眼力にも通じる。令和の今もなお「名取洋之助写真賞」(公益社団法人日本写真家協会)により、新進写真家の発掘と活動が続く。西暦2034年はNIPPON創刊100年にあたる。

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徳光寿雄徳光和夫氏と徳光次郎氏の父。徳光正行氏と、ミッツマングローブ氏の祖父。日本テレビ放送網初代映画部長。外国映画を日本語吹替でテレビ放送することを発案し、1956年『ロビンフッドの冒険』を放送。映画関係者からは「暴挙」と酷評されるも、視聴者からは「わかりやすい」と好感を受ける。「名犬リンチンチン」「パパは何でも知っている」などTVドラマを通じて、日本人の、アメリカへの憧憬を形作ったのは徳光氏によるところが大きい。
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安藤百福安藤宏基氏(日清焼そばU.F.O. きつねどん兵衛 開発者)の父。百福日清チキンラーメンの開発者。即席麺は当時の常識では考えられない食品だったため《魔法のラーメン》と呼ばれた。後に日清カップヌードルも開発。カップヌードルは「知恵のかたまり」ど絶賛された。カップヌードルは「Cup O’Noodles」の商品名で、1973年にアメリカ進出を果たし、その後もブラジル、シンガポール、香港、インド、オランダ、ドイツ、タイなどに次々と拠点を設立。日本の味をそのまま輸出するのではなく、それぞれの国や地域の人が好むスープや具などを商品作りに反映させることで、「カップヌードル」は日本生まれの世界食となった。
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藤澤武夫藤澤文翁氏の祖父。ホンダ技研の事実上の初代経営者。手塚治虫氏デザインの鈴鹿サーキット「コチラちゃん」のモデル。販売台数1億台を突破したスーパーカブの発案者。昭和の当時、藤澤発案の業販システムにトヨタ日産は「藤澤は何という恐ろしい男よ」「こちらの思いもつかない方法で販売拡大をする」「藤澤の眼の黒いうちは安心することができない」と舌を巻いた。そんな恐るべき藤澤は本田宗一郎をプロデュースした陰の黒子のような人。二人羽織の天才。二人羽織が天才的に上手過ぎて、ホンダは本田宗一郎氏が一人でやっているかのように見えた。藤澤の、世界販売台数で日産を抜き業界2位を目指す日産追撃のシナリオ」は2019年に現実のものとなった。
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詳細は省略しますが、共通して、全員職人的芸術家肌で、好奇心の塊。ご本人は勿論、ご子孫もアーチスト気質であることがわかります。新しい世界への渇望と言っていいかもしれません。一ヶ所に留まるということが、苦痛すぎてできない人たちでしょう。そして一見して遠く離れたAとBを結び付けてしまう創造性が常人離れしており、生み出された作品・分野の恒久性(後継者に受け継がれる)が特徴でもあります。一見して遠く離れたAとBについて、たとえば黒沢監督の「シェイクスピアの一場面をで表現する」手法はつとに有名です。

これらは同世代たる白川静博士にも共通していると思われます。(つまり「」(サイ)の発見は、学術脳も勿論必要不可欠ですが、それ以上に創造的天才の芸術脳によって、はじめて可能な発見だったと思われます…が、正直、至高過ぎて私の思索の及ぶ領域ではありません!(羽生藤井両棋士の芸術的棋譜を見ても深淵まで絶対に理解できないことと同じです)


恐ろしきユーラシア大陸と、殷王朝、そして甲骨文字

→さて、()王朝には光もあれば漆黒の闇もあります。その習俗・文化には現代の価値観からは残酷なものが多々含まれていることも同時に記しておきます。それは「」(サイ)とは何かを知る手掛かりになります。

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「本当は恐ろしい漢字の由来」より画像引用。

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横長のHは、死者を吊る首枷の象形.png

漢字の「」「」「」「」のように死体、生首を殊更に吊り下げる残虐な風習や、習慣は、異民族に恐怖を植え付け、戦後の反乱を避ける等の意図があると思われます。「逆らえばこうなる」という見せしめです。ウクライナ戦争でも同じような(ロシア兵による)遺体損壊の残虐行為がありました。ユーラシアは周りが全て異民族のリアル・バトルロワイアルな大陸です。同じ人間でなぜ大陸と日本でここまで違うのか。もしも日本海が無く、地続きだったとしたら、日本もどうなっていたかわかりません。


1950年に発見されていた口(サイ)

由来を紐解くと恐ろしげな漢字の世界ですが、神への祝詞を入れるたる、=サイを証明する遺物がいまだ発掘されていないことが、「サイ」説に反対を唱える根拠のひとつでした。しかし「サイ」がしゃれこうべとするならば、1950年に再開された殷朝遺構の調査によって発見されていたことになります。

本記事冒頭でも述べた通り、「サイ」の素材はどうもしゃれこうべです。(殷墟の安陽西北岡1001号大墓からは225もの頭骨が出土していますが、これは「サイ」としての祭儀の痕跡でしょう)祭儀に大量のしゃれこうべを使うとか現代的価値観からするとドン引きですね。※画像引用は遠目にとどめておきます。

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画像:世界史の窓 https://www.y-history.net/appendix/wh0203-016.html


人はなぜ地雷肢を踏むのか

なぜ(サイ)に使われていたが、しゃれこうべといえるのでしょうか?…それはという字の成り立ちに秘密が隠されているのです。
(サイ)すなわち、を調べるためには、真っ先にという文字の字解から調べる…これは、学習に例えれば基礎中の基礎です。そして試験というものは基礎が最も重要です。皆様よくご存知の筈。

試験委員は受験生にこう問います「本問は、一見難解だが基礎知識だ。基礎、解っているのか?!地雷肢に惑わされていないか?」→そして受験生には、残り2択まで絞って、不正解の方に必ずマークしてしまう、怪奇現象が発生するのです。

実際、漢字文化圏の我々は地雷肢(くち-mouth)」に惑わされ、数千年以上も、不正解の肢にマークし続ける怪奇現象に囚われていました。
(くち-mouth)が地雷肢「かどうか、もう一度検証してみましょう。(くち-mouth)で解釈したのイラスト、再掲載します。

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やはり何度検証しても、(くち-mouth)だと、成り立ちが説明できません。外形的客観的に考えて、時間軸・状況・場面設定がとあまりに違いすぎます。試験では不正解肢とするしかありません。


甲骨文字の初期段階ではどうだったのか

そもそも、(サイ)と、(くち-mouth)は、甲骨文字の段階では形が違っていました。これは試験でいうところの、基礎知識に相当します。

まずは、甲骨文字のです。には(サイ)があります。

甲骨文字 サイ.jpg

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次に甲骨文字のです。(赤丸にはがあります。

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この通り、-teeth を取り除けば、-mouth の形が残ります。

最後に並べて比較してみましょう。(サイ)と、(くち-mouth)は、3500年前の当時は、全く違う文字表現だったことが分かります。

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「口」(サイ)の謎を解く鍵は犠牲の犬

①殷墟からは犠牲の犬が出土していますが、犠牲の犬が埋葬されているなら、大量の(サイ)も一緒に埋まっていなければなりません。
②大量の髑髏(サイ)+が埋葬されていれば、それはという字の由来になり得る筈です。
③(前述の通り、の正字体の、ではなくですが、犬はヒトの数万倍嗅覚が優れているので霊獣とされました)

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④若干余談になります。正字体「」の中で、甲骨文字以来3300年間暮らしてきたを常用漢字ではに変えてにしましたが、
の正字がと知ったとき、藤子F先生の「あの」ギャグを連想しました。「野比のび→野比のび」です。
→藤子先生のような漢字ギャグ「」が、まさかリアル世界であったなんて!…と。

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→しかし、少なくとも私はリアル世界でと省略して書く人を見たことがありません。
誰も省略しないに省略した事で、三千年以上、の中に安住していた犠牲のが、今どこかで彷徨っているかと思うと、犬が可哀そうで、可哀そうで、可哀そうすぎて涙が止まりません。いつの時代であろうとも、犠牲の犬に私は涙腺崩壊してしまいます。

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口<哭<區<器

⑤閑話休題。(サイ)の数について、×2で複数~数十を表し、
(区)は沢山(50〜100)を×3で表しています。なぜそういえるのでしょうか。たとえばという字があります。風の谷のナウシカで出てきた王蟲ですね。

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常用漢字の虫はの略字体になります。正字体のはムシが3匹ではなく、画像↓のようなたくさんの蝶々(てふてふ)や、テントウムシの越冬など、ムシの集合体を現す漢字なのです。従って(サイ)が三つあるだけ…という漢字ではありません。の集合体をデフォルメした文字になります。

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画像引用:クリスマスは真冬のテントウ虫のおしくらまんじゅうを見に行こう
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8e68359b443319c0ded7b9e9cd0d70f66ea3fe05

上記よりも「」モク「」リン「」シンで例えた方が早かったかもしれませんね(笑) 「」「」「」は小学1年生で、その違い(数のルール、抽象性)を一番最初に習う漢字です。担任の先生のユーモアたっぷりの説明と、級友の笑い声が、まるで昨日のことのように思い出されます。


大きな声で言うと、頭のおかしい人と思われる「口」(サイ)=しゃれこうべ説

(サイ)×4のという字は墳墓の画像のように、数百単位のしゃれこうべが原義と考えられます。「生贄の犬と共に埋葬された、数百の」となると、王墓の頭蓋骨しか発掘例がありません。「古代遺跡より出土した生贄人骨に見られる損傷の法医病理学的研究」(黒崎久仁彦 東邦大学医学部教授)によれば「殷墟からの出土頭蓋骨に水平断が加えられ冠部を何らかの容器として使用した痕跡があるものなどが多数認められた」とあります。(サイ)=しゃれこうべ説間接的証拠たり得る思われます。

※なお(サイ)=しゃれこうべ説なんて言ってるのは、たぶん私だけなので、他の人には大きな声で言わないでくださいね。社会人として、組織社会で生き残るためには、余計なことはしない、言わないに限ります。他の人には大きな声で言わないのが賢明です。

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出土頭蓋骨に水平断が加えられ冠部の写真が見てみたいところですが、黒崎久仁彦教授によれば「これら生贄人骨の写真およびこれらの人骨に見られた損傷の解析結果については、中国政府の正式な認可を受けてからでなければ発表ができないため、報告書作成現在発表許可申請中である。」ということです


さて、あまり大きな声で言えない(サイ)=しゃれこうべ説ですが、殷墟の(サイ)の画像で検証できませんので、他の遺跡から出土した髑髏杯で検証します。フランスのLe PlacardとIsturitzという2個所のマドレーヌ文化の遺跡で見つかった髑髏杯です。

※以下閲覧注意です。急に医学部1年生(解剖学)導入部のHPみたいになってしまいました※

閲覧注意.jpeg

IMG_3312.jpeghttps://gigazine.net/news/20110218_ancient_skullcup_with_evidence_of_cannibalism/

以下HPより引用します。

そのうち3人の人物の頭骨は、前頭骨・頭頂骨・後頭骨からなる脳を覆う部分を砕かずにきれいに残すよう、鋭いものを当てて何度も慎重にたたいて割ったような形跡が確認され、ほかの考古学的な状況証拠と総合すると、ほぼ間違いなく水を飲むために使われた杯だと考えられるそうです。放射線炭素年代測定により、約1万4700年前のものと判明しています。


依頼方法は讃美歌13番「よし仇人あたびと立ちて われを囲むとも われは御名によりて 彼らを退けん…」

 

ターゲットスコープ@ゴルゴ13.png

ゴルゴ13.png
依頼者「ミスター・トウゴウ。1,200m先のロシア大統領の頭部狙撃を依頼したい」
「ただしウラジーミルの前頭骨頭頂骨後頭骨には傷ひとつ付けてくれるな」
「狙撃可能地点は部下が案内する」「P(ヤツ)が愛人と密会する地下への通路…唯一この瞬間に頭部だけが…」「この不可能を可能にできるのは世界で君しかいない!」

スイス銀行口座56513.png
ゴルゴはP狙撃を引き受けた!


髑髏杯は西部ユーラシア発祥、遊牧民族(スキタイ・ほか)の文化

閑話休題。遺跡で発見された髑髏杯とは、要するに、①②④の頭骨(前頭骨・頭頂骨・後頭骨)の繋ぎ目(頭蓋縫合)を3D型抜きしてできたものなのです。古代の人は、なぜわざわざ型抜きしたのでしょうか? 思うに人間はそこに型があれば、型抜きせずにはいられない生き物なのです。エアークッションのプチプチを潰さずにはいられないアレのようなものです。すなわち、脳の報酬系が活性化して、難しい型抜きに成功すると報酬物質が放出されるという按配です。

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「石(セキ)」と「口(サイ)」と「白(ハク)」

ここでちょっとだけ寄り道。という漢字がありますが、長年その字解がはっきりしませんでした。
石磬(せっけい)と(サイ)で、なぜなのか…。

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上で画像引用したCG3を天地逆。甲骨文字「」の(サイ)によく似ています。


石磬(せっけい)とは殷代の楽器に用いられた高硬度石で、Δ型をしていました。⭕️画像内の甲骨文字「」は(サイ)の制作過程を文字化していると解します。白川博士によれば甲骨文字「」は頭蓋骨の象形ですが、(サイ)はその頭蓋骨を型抜きしてつくられたのです。甲骨文字「白(ハク)」は下顎骨が取り外された、逆さ頭蓋骨の象形で、いま将に(サイ)が造られる直前の状態と当記事主は解します。

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医学標本より画像引用(天地逆)

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㝩簋銘文拓本「白」


陶寺出土石磬.jpg
山西省陶寺遺跡出土「石磬」

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清中期吉慶有余霊璧石


そのように(サイ)が、逆さ頭蓋骨を型抜きして作成したものであるとすれば、甲骨文字「」の字解がわかります。石磬(せっけい)でしゃれこうべを加工し、(サイ)とする工程の象形が漢字「石」だったというわけです。

甲骨文字「石」.png

甲骨文字の石磬(せっけい)部にある、(飾り紐)ですが、私以外の誰も綬に言及しません(笑)。漢委奴国王印(金印)にも綬(飾り紐)を通す穴が開いているのは皆様もご存じの通りです。他にも銅鏡の綬といい、関羽将軍の青龍偃月刀の綬といい、東部ユーラシア文明というのは綬と権威・権力・軍事力は切っても切り離せないものなのです。後述の甲骨文字「」「」にも綬が構成要素として登場します。元は軍事用語だった「成績」にが使われるのも、ルーツは殷周王朝時代のによります。今の時代、糸も綬も績もありふれたものですが、殷王朝当時は換金率の高い金融資産に準ずるものあって、王権の象徴のひとつでした。

漢字「石」祖型.png

金印.png

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青龍偃月刀.png
飯田市 川本喜八郎人形美術館様「赤壁の戦い」より画像引用

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ともあれ、殷王朝の支配層にとっての(STONE)とは(サイ)のための石磬(せっけい)に他ならなかったのでしょう。

石.png

実際はイメージ画像のような打撃ではなく、煮沸による頭蓋骨の軟化→型抜きの手順が想定されます。爪を切るなら風呂の後からのようなものでしょうか。殷墟からは実際に祭祀用の“人の頭部を煮込む器”が出土しています。

古代祭祀用の“人の頭部を砕いて煮込む器”.png

日本の屋台型抜きは竹串を使いますが、殷王朝の頭蓋骨の型抜きには石磬(せっけい)が使われた…なぜ型抜きにわざわざ石磬(せっけい)を…まさか安山岩の音響効果を狙ったのでしょうか? 参考に打楽器「石磬」のyoutube動画URLを貼っておきます。※音量に注意!

https://www.youtube.com/watch?v=MmP_ZdutXKE

現代日本において、出棺時に霊柩車がクラクションを鳴らすのは「邪気を払う」意味があるようです。古代においても、音響には何らかの効果を発生させる意味があったのかもしれません。甲骨文字はタイムカプセルです。当時の文化を窺い知ることができて非常に興味深いです。どちらにせよ、頭蓋骨の加工に音響効果というのは、現代日本人の感覚では、ついて行けないというか、あれですね(^_^;)

物語シリーズより、画像引用.png


たぶん白川先生も気づいていたはず

さて図BのCG87を逆さにして、上の方でも登場した甲骨文字(サイ)と比較してみましょう。※Wikipedia甲骨文字に掲載の拓本」(サイ)です。

甲骨文字 サイ.jpg

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天地逆の図BのCG87↑とWikiの「」(サイ)も、なんだか似てますね。つまりWikipediaの」(サイ)はこういう場面でしょうか?

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ただの木箱、土器や青銅器よりも、頭蓋骨(しゃれこうべ)の方が祖先の魂や精霊的存在を召喚できそうな気がします。おそらく古代殷王朝の人々にも、基本的な理念として人間の頭部に霊的な力が宿るという信仰が根底にあったのでしょう。その力を王朝のものとし、操作しようとする呪術的、宗教的、権力的な行為の発露が(サイ)だったというわけです。Wikipedia甲骨文字に掲載の拓本の「」(サイ)のついた甲骨文字は「」です。白川博士によると「」の文字は神霊を召喚する儀式を表わすとされます。

髑髏杯.png
https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Fichier:Skull_cup.jpg


ついていけない甲骨文字の時代の「右」

ちなみに漢字の「」とは、下載画像のように右手「」で「」(サイ)を持つことを具象化した文字になります。殷王朝時代の左右とは神事の用語でしたが、に王朝が交代すると手の左右の意味に転じました。甲骨文字が人→神への神事ONLYに使われたのに対し、新しい王朝では文字が周→同盟諸国への軍事作戦等の連絡・擦り合わせの手段として、やがては人→人へのコミュニケーション・ツールとして、広く普及していったからです。

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※閲覧注意!サイ(頭蓋骨)に刀剣が突き刺さっている画像。苦手な方は見ないでください!※

ちなみに、「」=(サイ)説にあたり、漢字「」「」は避けて通れないのですが、あまりにも専門的になるので、ここでは結論のみ載せておきます。「」は「」(サイ)に木の枝を刺し、右手に持つ象形であって内々の儀式に用い、「」は「」にを加えた象形で、対外的儀式に用いる…が通説とされていますが、「」(サイ)が頭蓋骨とすると木の枝ではありません。

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立命館大学研究員 佐藤信弥先生論文より画像引用


※繰り返します。トラウマ級に閲覧注意!サイ(頭蓋骨)に刀剣が突き刺さっている画像。苦手な方は見ないでください!※

殷墟からは前頭骨前頭鱗上部に鏃の「」(サイ)が発掘されていますが、「古代遺跡より出土した生贄人骨に見られる損傷の法医病理学的研究」(黒崎久仁彦 東邦大学医学部教授)の成分分析によれば鏃ではなく、青銅製の鉾が折れたものだそうです。古代の魂の安寧を祈りつつ画像作成を試みました。

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河南省 鄭州商都遺址博物院

写真の「」(サイ)に木の枝では強度的にも不自然といえるでしょう。ということで、「」は「」(サイ)+刀剣を右手に持った象形と、この記事では解釈します。祭祀による先例旧行を伝統文化として後世に伝え、記録し、保管することがの始まりでした。

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そして漢字「」は「」(サイ)+刀剣にを付け、右手に持った象形と、この記事では解釈します。外祭は政治的支配を意味し、特にユーラシア大陸のバトルロワイアルな地勢的特徴とあいまって、刀剣+頭蓋骨+綬というのは、王事政事の意となりました。恐怖を他民族に植え付けることで防壁と成し、余計な争い、戦役を避けるための示威行為と解します。何百という刀剣+頭蓋骨+綬を並べ立てて行進したはずです。要するに「」とは、古代の軍事パレードのようなもので、ひらたく言えば「マウントを取る」です。3300年前も今も、人類がやってることは本質的に変わらないといえます。

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…しかし、殷の時代の「リアル右・史・事」(3300年前のオリジナル右・史・事)って、こうして画像で再現してみると、現代日本人の感覚では(^_^;) ※再登場をお願いします。

物語シリーズより、画像引用.png

もっとも当時は誰でも「」(サイ)を右手に掲げて「」「」のような儀式ができたわけでなく、国王や、その使者に限られていたと思われます(cf.使者の使は史+綬+人で、原義は軍事パレードに遣わされる人です)。敵異民族長の首級の「」(サイ)は、ことの他価値があったのではないでしょうか。(敵異民族長の首級とは、たとえば21世紀現代に置き換えるとPクラスの「」(サイ)に相当します)。甚だバーバリズムの世界ではありますが、当時の人々の儀式を現代の価値観であれこれ言うのは、私個人としては遠慮しておきます。


ヒトは儀式で、手に何かアイテムを持つのが好きな生き物

漢字「左」は諸説ありますが、甲骨文字の「(右+左)」を見る限り「」は松明を具象化したものと解します。の甲骨文字について、ごく初期段階は下記イラストのような両手に松明を持つニュアンスの象形でした。(同一ではないですよ!)甲骨文字の中後期、周王朝の金文を経て、春秋戦国期~秦代の篆書体では右+左の現代とほぼ同じ字形に変化しています。

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古代人は、夜な夜な右手に「」(サイ)、左手に「松明を掲げ儀式を行ったのでしょう。現代のライトノベルに置き換えると↓のような感じでしょうか。右手に持っている魔導書を「」(サイ)に持ち替えて。

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参考画像:魔法陣上で、右手に魔導書、左手にヘルメスの杖風のデーメーテールの松明を掲げ、邪神を召喚せんとする図


3000年前も、今も、手に持つアイテムが多少異なるというだけで、召喚儀式の本質って変わらないのが面白いところです。古今東西、儀式といえば、炎のアイテムに行き着きます。

なぜならは、ヒトの安全を守るために灯り、照明、暖房、調理など、様々な用途で使われ、人類の生活を大きく変革しました。50万年前、人類最大の発明たるを手に入れて以来、手に持つ炎のアイテムを超えるものは存在しないのです。ヒトの行為や本質、原理原則が変わらないからこそ、3000年前以上前の漢字が恒久的に使い続けられるのでしょう。

…それにしても、手に炎のアイテムを持つと、人は何故笑うのでしょう? 50万年前の祖先の記憶が蘇るのでしょうか。

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パリ=オリンピック開会式で聖火を持って登場したジダン氏(ロイター)。

50万年前の私たちの祖先も炎を前にして笑ったと思います。夜の暖と明に笑い、対猛獣の安心して眠れる夜に笑い、素材を焼く・煮るの旨さに家族で笑ったのでしょう。50万年間を通じて、人類の儀式では炎のアイテムを超えるものはありません。五輪の聖火はもちろん、日本の式年遷宮でも松明篝火は欠かすことができません。

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松明と蝋燭の明かりだけで執り行われる神嘗祭(伊勢志摩経済新聞)

余談:イノベーションと滅亡

殷王朝はせっかく文字を発明したにもかかわらず、人との通信手段に使うことをしなかったため、イノベーションの前に敗れ滅び去ってしまいました。は文字の活用で同盟諸国と出兵時期を合わせ、大軍を編成することに成功したのです。殷王朝は自分たちが発明した甲骨文字を他国にフル活用されて滅亡したのです。(牧野の戦い

これは八木宇田アンテナを発明したにもかかわらず、レーダー技術を「※暗闇に提灯と同じ」などと伝統芸能の足の引っ張り合いに終始し、連合軍のイノベーションの前に敗れ去った旧日本軍の構造によく似ています。日本発の電探技術を、アメリカ合衆国は応用・発展・フル活用し、日本海軍を壊滅せしめました(ミッドウェイ海戦ソロモン沖海戦トラック島空襲マリアナ沖海戦ほか) 

※昭和11年、海軍技術研究所電気研究部主任会議で、電気研究部長の向山均海軍造兵少将の発言「歴史群像」2005年4月号「八木アンテナと日本レーダー開発史」。記事主注:ただし、当時の日本の技術力・工業力では米英レベルのレーダー開発は不可能でした。仁科研究室「原子爆弾開発」と同じです。

 


大陸の東端から見る、ユーラシア西域という未知の世界

」(サイ)をもっと平たくいえば、日本の漫画・アニメで、水木しげる先生が考案された魔法陣で召喚・魔法陣は異界への扉というものがありますが、その役割に近いと解します。どうも「」(サイ)≒(nearly equal)「水木式魔法陣」です。

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昭和38年 貸本「悪魔くん」より画像引用

両者に共通するのは、東洋人が西方の未知なるものに感じる超越性です。殷王朝の場合は、中央草原ユーラシア遊牧民族の風習、髑髏杯「」(サイ)を①魔界的要素若干有り、②呪術的要素従として有り、主たる神々の世界への扉として認識していたように思います。

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3枚目の画像では古代の「」(サイ)と、現代の水木魔法陣、両者の融合を試みました。作成しつつ3000年を越えた、東洋と西洋のシンクロ率の高さに愕然としました。この画像は犠牲の犬たちへの追悼でもあります。

「口」(サイ).png

ところで殷王朝にみられる「生首信仰」(頭部に霊的な力が宿るという信仰)ですが古今東西世界全般にみられます。

例えばイージス艦のイージスとはメデューサの首です。最新鋭の艦艇名に採用される程「生首信仰」は今もなお人々の心に残ります。